伊能忠敬---。わが国最初の実測日本地図(伊能図)をつくりあげた人物としてご存知の方も多いでしょう。その伊能さんが青年期から壮年期を過ごした千葉県香取市佐原を訪ねました。
伊能さんの偉業は私も概要は知っていた「つもり」だったのですが、佐原の記念館を訪ねて初めて知った事がいくつかありました。その一つに彼が測量術に長けていただけでなく、当時の最新の暦学(天文学)に通じていたということです。彼は50才にして、佐原から江戸に移り住み、自分より19才も年下の高橋至時(よしとき)という人の門下生になって研鑽を積むのです。そして、その技術をもって「緯度」1度が何里にあたるかを、当時の世界水準の正確さではじき出すことに成功したのでした。
55才から71才に至るまでの間、日本全国を測量してまわりますが、興味深かったのは彼が日本各地をまわる中で、当時の藩主や各地の人々のさまざまな協力を得て偉業を達成し得たということでした。また、歴史の教科書には出てきませんが、頼るに足る幾人かの技術者を従えていたという事でした。59才で幕府に登用されてからは、随行する技術者も増えたそうです。彼が素晴らしい才能を持っていたという事実は疑いようもないことですが、周りの人々に支えられていたということも初めて知りました。また、この全国行脚の最中には最愛の息子を亡くすという悲しい出来事にも遭遇していたようです。
そして、彼の死後3年たって、世にいう『大日本沿海輿地全図』が跡を継いだ者によって完成するのです。
皆さんも当時、「佐原江戸優り」と称された伊能忠敬ゆかりの地、佐原を訪ねてみては如何でしょうか。
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